音楽

井上陽水『スニーカーダンサー』

井上陽水『スニーカーダンサー』

井上陽水の感想・レビューシリーズ2。前回は『white』。

トラックリスト

評価は黒字 < 太字 < 赤字 < 赤太字
下線付きはリードトラック、★付はベストトラック

# 曲名 作詞 作曲 編曲 プロデュース 時間
1 スニーカーダンサー 井上陽水 高中正義 高中正義 井上陽水、多賀英典 3:14
2 Mellow touch 井上陽水 井上陽水 高中正義 同上 3:26
3 事件 井上陽水 小室等 星勝 同上 3:12
4 今夜 井上陽水 井上陽水 星勝 同上 4:36
5 ジェニ- My love 井上陽水 井上陽水 高中正義 同上 5:45
6 なぜか上海 井上陽水 井上陽水 高中正義 同上 5:26
7 フェミニスト 井上陽水 井上陽水 星勝 同上 3:47
8 ★娘がねじれる時 井上陽水 井上陽水 高中正義 同上 4:14
9 海へ来なさい 井上陽水 星勝 星勝 同上 3:42
10 ☆勝者としてのペガサス 井上陽水 井上陽水 星勝 同上 4:47
Review 86 / 100

1979年、井上陽水はあの笑顔を携えた。まずはこのアートワークに注目してほしい。

井上陽水 スニーカーダンサー

この顔である。いちおう読み取ると、暗く閉じた壁の窓から、開放的な空が見える。それと同じく、(なんともいえない)ポーズをとった陽水の内側に、笑顔の陽水がいる……まぁ、言わんとすることは分かるが、文字を費やすまでもないだろう。

音が何より雄弁である。再生してほしい。『white』の重い空気はどこへやら、耳を疑うほどの陽気さで始まる。

呼びとめないておくれ♪
間違わないておくれ♪
俺は不思議な動きをするけど♪
道に迷ってるのではない♪
♫オレはただのスニーカーダンサー♫
続く『Mellow Touch』ではラテン調で「だからもう~いつでもメロウでいてよ!」と語りかけてくる。次の『事件』は……歌詞だけ見れば非常に鋭い曲だ。相撲の本場所にて、カミソリを持った観客が力士を切り付け、その事件を相撲協会が「驚いて信じられない ここに来る人達はみんな良い人たちの筈だ 何百年もこの形式を守り続けてきたのだ」と語った……という、初期さながらの皮肉の効いた風刺が冴える。が、曲調は4畳半フォークでもなんでもなくレゲエである。

この井上陽水レビューシリーズを『white』から始めたのは、この落差を味わってほしかったからである。今なら「あの笑顔」から来るものだなと違和感はないが、当時のリスナーの衝撃は計り知れない。畳みかけるオープニングの曲順は、“フォークの神様を降りる”という井上陽水の宣誓だったはずだ。

・・・・・

もちろん、これには真面目なリスナー(という言い方もすこし語弊はあるが)からは強い反発、もとい失望も大きかった。例えば書籍『最強の井上陽水: 陽水伝説と富澤一誠』では、無名時代の井上陽水に注目し、フォークの世界で日本中を風靡したころを見つめた富澤一誠と、すっかり変貌を遂げた80年の陽水の対談が収められている。

先のレゲエ曲『事件』についてのやりとりを挙げよう。富澤は「何でこの歌詞をこんな風に仕上げてしまったのか」と訴え、「失敗作だと思う」とまで迫る。陽水はその気持ちを受け止めつつも、そうしたリスナーのシリアスさやメッセージ性から逃れたかったんだ──とは明言しないが、ひたすらにやんわりと「もう”そう”いうことはやめたんだ」という風にいなし続ける。富澤氏の思いは往年のファンの率直な感情図だろう。あの一時代を築いたSSWが、能天気に「オレはただのスニーカーダンサー」と歌いだした瞬間の、「どうして?」という困惑、そして「お前はもっと──」という失望。

・・・・・

だが、だからこそ陽水は生き残った、面白くなった、と今からみると言える。本作は過渡期の一作で、アルバムとしては支離滅裂な、しかし名曲を多数含む(特にB面は)必聴盤である。

前口上が長くなった。それではいつもの全曲レビューへ。




A面

tr.1 「スニーカーダンサー」

こんなに軽やかな逃走があろうか。陽水の宣誓は明確であり、その逃走劇をサポートしたのは、前作で登場した「高中正義」である。

ちなみに1979年当時の日本の年間アルバムチャートを見てみよう。1位はゴダイゴ『西遊記』だが、注目したいのは年間2位の大ヒット作が、さだまさし『夢供養』な点である。「関白宣言」と「親父の一番長い日」が大ヒットした年だと言い換えてもいい。この視界を捉えると、井上陽水が打ち出そうとしたスタンスが、何から逃走しようとしたのか──がより輪郭を持つはずだ。

にしても前作に続いて本作も録音が素晴らしい。特に本作のハイファイ(分離)感はかなり図抜けており、シティポップ名盤と並べても遜色ない。何故かは分からない。情報求ム。


tr.2 「Mellow touch」

陽気なラテン曲。ただまだ歌詞はぎこちなく、ムダな意味を背負わないよう選ばれた言葉たち、という印象。ナンセンスが目標であり、イメージの広がりに欠ける。このあたりが覚醒していくのはもう数年あと。


tr.3 「事件」

件のレゲエ曲。やはりこの曲順はかなり意図的だったんじゃないかと思う。そもそもここまでの3曲で作曲者クレジットは高中正義→井上陽水→小室等である。補足しておくと、本作に至る6枚のアルバム収録曲において、作曲に陽水のクレジットがないのは「あかずの踏切り」(星勝)のみなのだ。他人の曲に自分をぶつけ、グニャグニャに変形していく中期・井上陽水のスタイルが明確に出ている。

さて、先の富澤一誠氏と同じく、自分もこの試みが成功しているとは思わない。が、成功とか失敗とかそういう領域で曲を作っていなかったとは想像できる。これは枠を破壊するための、いうなれば意図した「脱臼」としての1曲だ。そして自分は陽水の、そうした脱臼をあの笑顔で飄々と公開してしまう姿が、嫌いで、大好きである。

だからこそアルバム単位で名盤と言いづらく、ディスコグラフィと楽曲単位では本当に面白い。そのすべてが自薦ベスト『GOLDEN BAD』に集約するわけだが、それはあと10作くらい先で会おう。


tr.4 『今夜』

『white』にいてもおかしくない仄暗い佳曲。前作における『愛の装備』と、真逆の立ち位置から同じ浮き方をしている。余談だが、竹田青嗣氏による『陽水の快楽』(‘86)という著書では、ハイデガーやキルケゴールと並べられながら本曲が激賞されている。


tr.5 『ジェニーMy Love』

往年の姿をまだ伺える曲がふたつ続いて、A面が終わる。コテコテのソウルブルーズで迫力あるバンドサウンドだが、対する陽水の歌詞は常套句を並べただけで、あえてトゲを抜いた、ほぼ何も言ってないようなものになっている。そういう意味で「Mellow Touch」と同じ部類と言える。

・・・・・


そしてここからが本番だろう。
『スニーカーダンサー』のB面はマジでやばい。

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B面

tr.6 「なぜか上海」

ゴールデンベストにも収録された、代表曲(候補)のひとつ。一時代を感じさせるイントロだが、有名なのはBメロの歌詞もとい符割りだ。譜面にしなくても異常さが伝わるので、原文ママで書こう。

そのままもそ、もそも、もそっとおいで
はしからはしのたもとお嬢さんたち
友達さそ、さそ、ささそっておいで
すずしい顔のおにいさん達

これは言葉の響き以上に、唇と舌の動きの快楽である。口に出してみると全てが分かるので、ぜひモノマネしながらカラオケしてみてほしい。高らかに「シャン⤴︎⤴︎ハァ〜ァァァイ〜ィ゛〜〜」と震わせる陽水のハイトーンが気持ちいいし、高中正義のギターも滅茶苦茶細かくフレーズを打ちこむ。Bメロのミュートギターとストリングスが良いダシ出ている。

ところで何故「上海」なのか。語感の良さだろう。が、井上陽水と父親が九州出身なのは踏まえてもいい。九州と上海は、東京よりもずっと密接な関係にあった。戦前は「海の向こうの大都会」であり、日中戦争の時代にはより切実な現実でもあった。そんな時代を生きた父親が、少年時代の陽にの語った思い出のイメージか……答えはないが面白くはあるはずだ。


tr.7 「フェミニスト」

地味に割と好きな曲。非常に軽いタッチのポップソングだが、こちらの編曲は星勝で「愛の装備2」という感じ。
歌詞の肝は「私のそばを回っているのはフェミニストです いつも心の中をのぞく為」だろう。つまり陽水自身がフェミニスト=嫌いな男のタイプ=「いつも言葉を探している」人なのだ。自己嫌悪である。となるとそんな彼が考えるステキな男のタイプとはピアニスト=「軽い気持ちを風に乗せる」人であり、ゆえに最後はこう結ばれるのだ。

「私は元気、あなたはいかが?」

これこそスニーカーダンサーの軽やかさであり、『心もよう』を書き上げた井上陽水が変貌したい姿だった。


tr.8 「娘がねじれる時」

ゴールデンベスト収録曲2。まずタイトルがかっこよすぎる。大ヒットシングルでも何でもないが(『なぜか上海』のB面曲)代表曲だと断言しよう。

この曲を聴いた誰もが、悲しいより「ヒネくれた」に近い、すくなくとも「真っすぐでない」印象を持つはずだ。その肝は、Key=Amにおける「F7」、つまりE♭の導入にある。前作『青い闇の警告』でふれたものと同じブルーノート使いである。本曲はリードギターがイントロからこのE♭を強調するので、より強くこのフィーリングを感じるはずだ。この曲がメロと詩どちらが先に出来たかは分からないが、この曲想が「ねじれる」という曲タイトルに影響を与えたのは間違いない。

Aメロ後の、高中正義によるメタリックなリードフレーズが超カッコいいのだが、ライブ音源で聴くとよりシビれるので是非。

にしてもすごい歌詞だ。氷の世界と並ぶ、SSW井上陽水の代表作だろう。ノっている時の井上陽水は、ライブにて──娘には父親が5人も居たが父親の会社には守衛も居ない 情熱と生産は反比例をし社長には8人も愛人がいた──と歌った後、「あー笑」と不敵なうめき声をあげる。これが性格悪くて大好きである。

そのとき夜空がゆがむ
悲しい娘もゆがむ
心と体と愛がねじれる
邦楽史上に記憶されるべき名曲。


tr.9 「海へ来なさい」

ゴールデンベスト収録曲3で、久保田利伸ほか広くカバーされる名曲。代表曲ラッシュだ。
いくつかバージョンがあり、自分のベストは本アルバム版ではないが(曲のスケールに対してドラムが少しいなたい)、偉大な原曲として文句なし大名曲。このライブ版を置いておこう。

最初に書いておきたいが、作曲者は星勝である。透き通ったメロディに陽水はこんな歌詞を乗せていく。

太陽に敗けない肌を持ちなさい
潮風にとけあう髪を持ちなさい
どこまでも泳げる力と
いつまでも唄える心と
魚に触れる様な
しなやかな指を持ちなさい
海へ来なさい 海へ来なさい
そして心から幸福になりなさい
言葉のなんて柔らかで力強く、その声のなんてしなやかなことか。「魚に触れるようなしなやかな指」は天才の表現。

星勝らしく繊細で丁寧なコード進行だが、光っているのはサビ後半、ふた回し目の「海へ来なさい」の箇所だ。DM7からC#m7、そしてF#7-9, F#7。ボサノバの響かせ方。「そして心から……」がBm7で、意表を突くサブドミナントマイナーDm7で「幸せに……」の感情を曖昧に持ち上げて、「なりなさい」のⅠ、AM7で着地する。美。

井上陽水・星勝のベストコンビによる名曲、としっかり書いておきたい。

・・・・・

にしても、息子が生まれたことについて詩を書く時、「暗闇をさえぎるまぶたと 星屑を数える瞳と 涙をぬぐえる様なしなやかな指を持ちなさい」の歌詞を錬成し、『海へ来なさい』とまとめてくるSSW力は凄すぎるし、逆に親父としてはイヤすぎる。これはお前のことを歌った曲だ、と渡されても困る(?)※1。

ただ「娘がねじれる時」の次曲なのが、この美しさに対して悪趣味な配置だ。美しい曲を生み出すのに美しい心はいらないのである。海へ来なさい。


tr.10 「勝者としてのペガサス」

この曲はこの映像で評価したい。逮捕にあたって恩義※2のあった筑紫哲也氏のニュース番組の最終回に捧げた、1982年の演奏で、これが本当に素晴らしいのだ。この記事は、『スニーカーダンサー』でサングラスをかけ、あの笑顔を見せ始めたが、この曲を、公共放送の場で、素顔で捧げている。

原曲の過剰にドラマチックな伴奏が取り払われ、簡素なシンセと弾き語りのみの演奏からは、柄から刃物を取り出したような剥き出しの鋭さが光っている。自分はこの弾き語り版こそがこの曲の真骨頂だと思っている※3。

出所後の男が声を発する。「一言あなたに言おう」──

楽しいよ 罪のないことは
その不敵な姿。
一時代を築いた男が、逮捕以降低迷した売上からこう呟く。
悲しいよ 敗れ去ることは
そしてその眼光が鋭く光る。「最後にこれだけ言おう」──
気をつけて どんな天気でも
何気ない言葉でありつつ、ふとナイフを取りだしてきそうな迫力がある

大空を駆け巡る美しいペガサスに対比される、草むらへ逃げ込んだ子犬、青空に溶けこんだ小鳥。この前、『爆弾』(‘25)という映画を観たが、エンディングテーマは『勝者としてのペガサス』でも良いんじゃないかと思った。ラストシーンはまさに「最後にこれだけ言おう 気をつけて どんな天気でも」の暗転だろう。

この迫力は、軽やかさを綴ろうとした「スニーカーダンサー」のそれではない。初期のあの眼光そのものである。確かに陽水は変わった。しかし、富澤一誠が心酔した、SSW井上陽水の真髄もここには確かにある。




アルバム全体の完成度でなく、単曲の達成度(特にB面)が素晴らしすぎてこの高評価、という感じだ。

さて、逮捕後復活の一作だった『white』から1年、本作もオリコンチャートはTOP3入りを果たしたものの、この急変貌はやはり反発も大きかった。何より時代は──さだまさし、 松山千春が大ヒットした一方、本作発売の同年にはYMOの『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が発売されている──明らかに様変わりしていた。

その中で、急変貌を遂げた井上陽水の次なる一手とは?
続く。

※1. 陽水が子を持つ前の楽曲として「子供への唄」がある(『Good, Good Bye』のB面)。こちらは他人の子を見て連想しただろう素直で素朴な言葉が並んでいるが、自分も子を持ったところで出てくるのが『海へ来なさい』なのだから恐れ入る。
※2. 別タブ参照。
※3. クレジットはないが、この編曲は「川島 BaNaNa 裕二」と思われる。陽水を支える重要人物3で、すぐに出てくるのでまた今度。

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