音楽

井上陽水『EVERY NIGHT』

井上陽水『EVERY NIGHT』

井上陽水の感想・レビューシリーズ3。前回は『スニーカーダンサー』。

トラックリスト

評価は黒字 < 太字 < 赤字 < 赤太字
下線付きはリードトラック、★付はベストトラック

# 曲名 作詞 作曲 編曲 プロデュース 時間
1 ☆サナカンダ 井上陽水 井上陽水 井上鑑 井上陽水 6:01
2 クレイジーラブ 鈴木茂 4:01
3 世間人で GOー 鈴木茂 4:01
4 Winter Wind 井上鑑 4:16
5 ★8月の休暇 井上鑑 4:28
6 EVERY NIGHT 井上鑑 4:09
7 答えはUNDERSTAND 井上鑑 3:23
8 I yai yai 鈴木茂 3:43
9 ★プールに泳ぐサーモン 鈴木茂 3:13
10 空はブルーエンジェル 井上鑑 4:37
Review 73 / 100

1980年、井上陽水はまったりしていた。というのはもちろん自分の勝手な想像だが、本作を再生するとそんな印象を抱く。音楽的に停滞していた訳ではない。盟友「星勝」、前作の変貌を支えた「高中正義」もここにはおらず、編曲陣は刷新されている。はっぴいえんど、ティン・パン・アレー、荒井由実を支えた「鈴木茂」。もう1名は「井上鑑」──翌1981年に寺尾聰の『ルビーの指環』を手掛ける──の新体制だ。

1980年前後の日本音楽シーンは激動である。アルバムチャート年間1位はYMO、沢田研二も「TOKIO」で新風を吹かせ、松田聖子が、長渕剛が現れ、オフコースがついにヒットをとばし……。70年代が終わったという以上に、新しい何かが時代に立ち上がっていく気配に満ちていた。

しかし陽水はなんだか浮いていた。フォークの神様は降りた。じゃあ彼はどこに向かったのか?まずはいつも通り全曲を辿ってみよう。



tr.1 ☆「サナカンダ」

上海の次はサナカンダかという感じだが、一体何処なんだ。造語である。

オープニングのアコースティックギターに続く澄み渡る陽水のハイトーンが美しく、バンドサウンドが入ってダイナミックにサビへ展開する。間奏では煌めくようなシンセが世界を彩り、キメでは盟友2たる「今剛」のエレキギターが叫びをあげる。海と荒波をイメージさせる、いつになく情景的なアレンジだ。

6分を越える尺もキャリア3曲目で、これまでは「夜のバス」「結詞」、LPのA面/B面を締める大作だけが踏み込んだ尺だった。それを1曲目に並べたこと。間違いなく本作の目玉であり、自信をもったリードトラックだったはずだ。実際この曲でテレビ出演もしており、自分もベストトラックだと思う。


tr.2 「クレイジーラブ」

しかしサナカンダの神秘的な世界観は続かない。この辺が井上陽水のアルバムの残念さで、聴きやすさでもある。どストレートな3連ロッカで、山口百恵への提供曲というのもあって『GOLDEN BEST』にも選出されている。

ひとつ逸話を引いておこう。井上陽水と山口百恵、ふたりのプロデュースを担当した人物が川瀬泰雄である。彼は『pen』の井上陽水特集にてこう語っている。

「百恵の引退が決まってから初めて作曲を依頼したこともあり、色々な思い出が詰まっています」
・・・この言葉を踏まえて歌詞を見ると——言うまでもないが山口百恵の絶頂期での引退は結婚とともにある——陽水という人をあらためて知る感じがする。良くも悪くもすごいよアンタ。


tr.3 「世間人でGO-」

前2作は令和に聴いても感心するくらいの録音だったが、残念ながら本作は間違いなく1970~80年の音だ。イントロの炸裂する歌謡シンセにも時代を感じる。ドラムがカッコ良いが、その音も妙に響きが詰まっていてファニー。

世間人でゴー。ここにはもう『white』のシニカルも、『スニーカーダンサー』の突き放しもない。陽水の世間への視線は「そういうもん」あるいは「どうでもいい」という感じだ。歌うと気持ちいい曲。


tr.4 「Winter Wind」

サビのストリングスといいかなり歌謡曲寄りで、これまでの星勝とは異なるセンスを感じる。「サナカンダ」同様に井上鑑によるアレンジで、エレキギターの入れ方も似ている。ただこじんまりとしてしまった印象。いかにも格式高いマイナー調なので、往年のファン受けは良さそう。

Aメロが『勝者としてのペガサス』と被りかけている。


tr.5 ★「8月の休暇」

初出はシングル「ミスコンテスト」のB面で、ビックバンド風の編曲だった。ここではより音数を減らす(伸ばす)ことでよりスロウな空間を演出、「休暇」に相応しいリアレンジとなっている。シンフォニックなパーカッション、凝った間奏のシークエンスといい、ベストトラックのひとつ

「楽しいことを泳いで 淋しいことを休んだ」はいかにも陽水らしい名フレーズである。

進行の基本はⅠ→Ⅳm。サブドミナントマイナーのすこし浮世離れした響きが素敵だ。Bメロの「楽しいとを」でFm7、つまりE♭の響きを当てている点も注目したい。前2作でもふれた、同主長調から借用したブルーズノートだ。ビートルズ経由で、陽水に沁みついているメロ感覚なのだろう。




A面はここまで。以降がB面だ。
このアルバムに統一された魅力を求めるなら、それはB面にあると思う。




tr.6 「EVERY NIGHT」

メンバー全員に見せ場があり、キメも豊富で、バンド演奏が楽しいだろう曲。間奏はスラップも聴こえる。ただ個人的には録音がモッサリしている点だけ残念だ。1992 SPARKLING BLUEの映像を張っておこう。こちらはタメが失われてしまったが、快活な魅力はある。

歌詞も気持ちがいい。Bメロの、ta, ta, からtaiで伸ばす、2番のte, te, taiで伸ばす流れは、是非ノドと舌で感じてほしい。

あとさりげなく曲構成が謎。サビAサビBサビBサビって。このAが好きなので悔しい。「悲しい理由、ただ悲しい理由……クラァアァ、アァ↑↑~~イ(笑み)」


tr.7 「答えはUNDERSTAND」

陽水のクリーントーンが映える美メロ曲。ラストの「It’s only my love」からのベースラインの下降が優雅。D→C→G(onB)、B♭をはさんでD。


tr.8 「I yai yai」

晩年のルンバ嗜好に連なる一曲。避暑地で過ごすようなチルタイム。ずっとこのあたりの軽さ・ユルさが好きじゃなかったのだが、この記事を書きながら聴き返していると「逆にイイ」に揺れている。人生に足りないのはI yai yaiかもしれん。


tr.9 ★「プールに泳ぐサーモン」

このアルバムを初めて見かけた時、この曲タイトルたちに「ナメてるな」と思った。高いだろうLPにこの曲目を並べられたフォーク時代からのファンの心境たるや。そして実際に聴いた時、ナメを越して「やってんな」と思った

ク~~~~ルな雨がチャポンチャポン
キュ~~~トな頃はロマンスロマンス
シュ~~~ルな風がフアンフアン
シ~~~~ツに汗がサランサラン

意味から飛び立った陽水の姿が水面に浮かんでいる。ただ、しっかり指摘しておきたいのは、「チャポンチャポン」でなく「チャポン de チャポン」であること。ここに言葉の意味はないが、発声のグルーヴはある。「切符を買ったら特急券でGO」の音ハメも面白い。何となく聞くと「キプーオ(?) ガンダーラ・・・」のように、語呂の良い謎の英単語をはめていると思うんじゃなかろうか。陽水の歌詞感覚が拡張されている。

例えば桑田佳祐は、「英語」のメロディに向けて日本語を当て字していった。対して井上陽水は、あくまで「日本語」の気持ちよさから進んでいる。だから上海などの固有名詞や、サナカンダのような謎の単語、擬音が歌詞に入りこむのだろう。この「日本語の響かせ方」の探求は今後加速していく。

・・・この曲にこんな文字を費やすかって感じだが、地味に大好きな曲笑。軽快なバロックポップで、Aメロ裏「チャポンチャポン」に続くテレテーテレテ(ED#D->BA#A)のクロマチックフレーズ、サビのストリングスも良い。間奏は同主短調からB♭に一時転調し、弧を描いてイントロに円環する粋な展開でまた魅せる。イオンみたいなサクソフォンはJake H. Concepcion氏である。歌詞のインパクトを含め、ここは勢いよく『EVERY NIGHT』の代表曲は「プールに泳ぐサーモン」と言い切ってしまおう。名曲度は「サナカンダ」だが、本作を象徴するのは「8月の休暇」とこの曲だ。


tr.10 「空はブルーエンジェル」

前作のエンディングは「大空にペガサス、草むらへ逃げ込んだ子犬」だったが、本作は「空はブルーエンジェル」だ。恋人や旅人たちがどうなるかは分からない。だが、空には青い天使が、月が、夢が、星がある。そこに擬音を当てる。「フーワリ」「ゆーらり」「キーラリ」。とても柔らかい表現だ。絵本を読み聞かせるような、子守歌のイメージが浮かぶ。

あらためて聴くと、この選曲・曲順はかなり意図的なものを感じる。『氷の世界』から最も遠く離れたのは本作『EVERY NIGHT』と言えるのではないだろうか。それは確かに、『スニーカーダンサー』の次として相応しい足取りだったのかもしれない。




本作の井上陽水には、予定のない休日のような余裕がある。2026年から見ると、この佇まいは「チルの井上陽水」とも言えそうだ。

しかし世間からの反応はダイレクトに数値で示された。前々作3位、前作3位──本作は28位である。TOP3から、辛くもTOP30という転落だ。当時の心境ははかり知れないが、例えば1980年の弾き語りライブのセトリは、20曲近く選んでいるのに「クレイジーラブ」を除いてすべて『white』前の楽曲だけで構成されている。『ラインダンス』では本作の時期へのコメントとしてこんな言葉が添えられている──

ぼくはたくさん売りたいとは思うけれども、売れないものが良くないかというと、そうでもない。だけど、売れるということ以外に音楽を計るものさしを見つけられない。

ラインダンス


──しかして陽水は浮上する。

そのキッカケは「チル」とは真逆、愛の成れの果てを描いた『ジェラシー』である。そしてバンドサウンドも変貌を遂げる。シンセサイザー奏者・川島 BaNaNa 裕二の登場である。その旅路はまだまだ曲がりくねっている。

次作『あやしい夜をまって』に続く。

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